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つまようじの歴史


1.楊枝の誕生

楊枝を初めて使ったのはネアンデルタール人で、およそ10万年前といわれています。 歯の化石に、縦の筋が見られ、これは堅い楊枝で歯をこすった跡だと推測されています。
その時代は、野性に近い生活をおくり、食物を柔らかくして食べる調理方法も発達していなかったので、 歯がどれほど重要であったか、想像に難くありません。ちなみに、木の枝で歯を磨くチンパンジーがいるということも報告されています。
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2.仏教と楊枝

わが国に楊枝が伝わったのは奈良時代、仏教とともに伝来したといわれます。
お釈迦様(紀元前500年)は木の枝で歯を磨くことを弟子たちに教えました。これが楊枝と歯ブラシの元祖です。
仏教では、僧侶が常に身につけておくべきその第1に楊枝が出てきます。心身を清めるのはまず歯(口)からということでしょうか。
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3.歯木のいろいろ

現在でも歯木を使っているインドやアフリカなどでは、伝統的な歯木が道端やスーク(市場)で売られています。棒状の木の枝の一端を噛んでブラシ状にして使うことが一般的ですが、クルミなどの乾燥した木の皮を2〜3センチの幅に切って使うことも多いようです。
チュニジアのスークでは、男性用と女性用に分けられた歯木が売られています。
また、エチオピアの歯木は、手の握る部分の樹皮が模様に切り取られ、お洒落に仕上げされているものもあります。

 


4.貴族への浸透

僧侶が常に身に付けておくべき大切な楊枝は、彼らと交わることの多かった貴族に伝わりました。時の右大臣・藤原師輔(ふじわらのもろすけ:908〜960)も、その著『九条殿遺誡』の中で、朝に楊枝を使って口を漱ぎ顔を洗うことを日常の作法として行うことを、子孫に伝えています。今に伝わる多くの文献のなかに楊枝が出てきますが、いずれも歯の健康について述べられています。

 


5.庶民への普及

庶民に伝わったのは平安末期のころでしょうか。室町時代の「田植え歌」に「けふの田主はかねのようじをくわえた」や「楊枝木には南天竺のびわの木」などの言葉がでてきます。この時代には、房楊枝と同様先端を鋭く尖らせたいわゆる「爪楊枝」も使われました。江戸時代には、一方が毛筆のように房状になっている房楊枝の、もう一方の先は尖っていて、「爪楊枝」になっており、さらにその柄の部分はカーブしていて舌掃除に使うようになっています。

 

 

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6.歯ブラシの登場

房楊枝は、いうまでもなく、歯ブラシの原形ですが、明治時代の初めにアメリカから歯ブラシが入ってきて、その姿を消しました。房楊枝では歯の裏側が磨きにくい、木のささら状になった部分が取れて口の中に残る、耐久性がないなどがその理由と考えられます。日本製第1号は、明治5年頃、大阪で、鯨髭に馬毛を植えた楊枝を製造し、それに「鯨楊枝」の名称をつけて大阪市内の小物屋で販売された歯ブラシということになっています。

 


7.デンタルピックとしての楊枝

江戸も後期の頃になると、次第に楊枝を使う人々が増え、需要が拡大し、明治の中頃から今の河内長野を中心に、楊枝産業が始まりました。時代とともに楊枝は、歯につまった食べカスを除去する道具から、歯を予防するデンタルピックへと拡がりをみせています。そして、今では、歯のケア用品としてのポジションも高く、若い人を中心に三角ようじをはじめ、糸つきようじ、歯間ブラシの普及が急速に進んでいます。